歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。

 今年の大河ドラマ「いだてん」が始まった。ドラマでは日本で初めてオリンピックに出場した金栗四三(かなくりしそう)と、1964年の東京オリンピックを実現させた田畑政治(たばたまさじ)について取り上げている。今回は、中村勘九郎演じる金栗四三を四柱推命鑑定する。

金栗 四三(1891-1983)
生年月日:明治24(1891)年8月20日

 

それでは、上の命式表を見ながら鑑定していく。

●日柱の干支:「戊寅」(つちのえとら)

 この場所は、四三が果たすべき、自然界の役割を表す。「戊(つちのえ)」は山、「寅(とら)」は季節の春を意味することから、「戊寅」を持っていた四三は、春の山のような人物だったと言える。冬が終わり雪が融け少しずつ暖かくなるこの季節、山には竹の子や山菜が生え、少しずつ山に人が集まり始める。四三にはそのように優しく人々を引き付ける魅力があったのだろう。山はどっしりと構えてその場を動かない。それゆえ、一度やると決めたことはやり遂げる強い意志を持っていたのだろう。不器用な部分もあったかもしれない。
四三は1912年ストックホルムオリンピックに日本人として初めて出場し熱中症で棄権するという失態をバネに、オリンピックにこだわり続けた。
 

ストックホルム近郊のマラソンコース上の町・ソレントゥナに設置された金栗四三の記念銘板。

 しかし、翌1916年のベルリンオリンピックは第一次世界大戦の影響で中止となる。その次の1920年のアントワープオリンピックでは足のけがにより第16位に。翌1924年のパリ大会の時には30歳を超え選手としてのピークは過ぎていた。ほとんどの仲間が引退する中、四三は周りに推されて出場した。結果は残念ながら熱中症によりまたもや棄権。その後は、オリンピック等の国際大会に出場する選手の育成に務めた。まさに「動かざること山のごとし」。マラソンとスポーツ、そしてオリンピックにかける思いは誰よりも深かったのだろう。

パリを流れるセーヌ川。パリ大会ではピークは過ぎていた金栗四三。

 同様に日柱の干支に「戊寅」を持っている歴史上の人物として、織田信長、松平信康、黒田長政が、現代の著名人では、ヒラリークリントンや稲垣吾郎がいる。「動かざること山のごとし」のイメージが伝わるだろうか。

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