戦国時代の名古屋市内には、数多くの城館が存在した。前田氏の荒子城(中川区)、平出氏の志賀城(北区)、佐々氏の比良城(西区)などが代表例としてあげられる。
 ただし、その大半が市街化によって、遺構が地上から消滅した状態にあり、佐久間氏の御器所城もまた、例外ではない。

写真を拡大 御器所(御器所西)城/尾陽神社の境内には、城跡を示す石碑が立つ。読みが「ごきそ」だと知っていることを名古屋人に誇ると、イントネーションの違いを厳しく叱責される。

  尾陽神社の境内には、土塁の痕跡とも思われる地面の出っ張りも、認められなくもないが、遺構は消滅したとみなすべきなのだろう。御器所城探査後、というよりも銭湯巡りの時間調整を終えると、近所の銭湯へ。フロントには、うら若き女性が座っていた。銭湯の番台やフロントに座っている女性の9割以上は年上のため、不思議な気持ちを抱きながら脱衣所へ。

 小一時間ほど入浴したのち、フロントに戻ると、60代後半の父親に交代していた。
 ある意味、妙齢の女性に対しては話しかけにくいが、この交代があったからこそ、気軽に会話ができ。彼女の年齢や職業、そして母親が体調不良のため、たまたまフロントにいたことを知った。

 

写真を拡大 御器所城近くの銭湯/天井開閉式露天風呂を設置。ただし経年変化によって開閉機能は停止中。

それから、1時間以上、ご主人との会話が続いた。名古屋市内では、最初にフロント型式をしたなど、銭湯事情で口火が切られ、ご主人の若き日の世界周遊にまで話が及んだ。
 会話の途中、「お土産がある」との一言を残し、ご主人は居住スペースへ。そしていただいたのが特製の手拭い。

 

写真を拡大 銭湯特性手ぬぐい/中央より左下には「御器所西城」の文字も見える。

 江戸時代に作成した地図を絵柄にすることにより、往時と現在との寺社や街路の一致を知るとともに、かつては池だったエリアの地盤の軟弱性を考えるため、この手拭いを製作したとのことだ。