上を見ればキリがないのと同じで、下を見ればキリがない。だとしたら選択肢は一つしかない。上を見て、上に学ぶことだ。 下を見て憤慨していても時間の無駄である。もちろん、社会生活を送っている以上、それをゼロにはできない。しかし、下に対応する時間を最小限に抑え、偉大なものに触れなければ先はない。今回『遅読術』を刊行した作家の適菜収氏は「結局バカはばれる」と言う。一時的に成功する人はいるが、小手先のテクニックでは長続きしない。10年20年と生き抜くためには、何を読み、何を学べばいいのか。適菜氏に聞いた。

■バカは知的に武装する

 

 情報化社会である。多くの人々が最先端の情報を貪欲に追い求めている。そうではない人もいるが、それでも会社や学校、町内会などで世間並みの会話についていくために、テレビを見たり、新聞や雑誌を読んだりしている。

 しかし、その情報は本当に必要なのか?

 どこかの国のアイドル歌手が不謹慎なTシャツを着ていたとか、俳優が不倫していたとか、どこかのマンションが火事になったことの詳細を知る必要があるのか?

 新聞や雑誌を隅々まで読み、世の中に目を配っても、その膨大な量の「情報」は空虚である。

「情報」を集めれば、「正解」に辿り着くと信じているバカは多い。彼らは、政治家、大学教授、弁護士といったそれなりの社会的地位についていたりするので余計に面倒だ。

 世の中に「正解」が存在するなら、それを効率よく、短期間で、手に入れようという発想になる。

 だから、「速読法を学んで、最先端の情報を処理し、知的に武装しよう」といった方向に行ってしまう。

 そして相手を「論破した」と自己充足する。

 はっきり言ってくだらない。

 情報を得るための読書は子供だってやっている。

 小さい頃は、こうした読書で間に合うが、大人がそれだとまずい。

 本は自分の魂のために読むのである。

 いまの世の中で必要なのはスピードではない。

 立ち止まることだ。

 答えを出すことではなくて、考え続けることである。

 そのためには、厳選された価値のある本をゆっくりと読まなければならない。

 これはきちんとしたレストランで、時間をかけて食事を楽しむのと同じことだ。

 速読はバカの早食いのようなものである。単に腹を満たすのが目的ならマクドナルドのハンバーガーでいい。

 一流のレストランに大金を払って「栄養」を求めるバカはいない。 そのレストランが提供する技術に、魂が突き動かされていく。その過程・時間にこそ、意味がある。

 古典を読むのは、過去に存在した偉大なレストランで食事をするようなものだ。これ以上の贅沢はない。

 では具体的になにを読めばいいのか?

 過去を振り返れば、すでに道は示されている。

 大事なことは、真っ当な世界に連なる意志をもつことだ。

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