■「ツィタデレ」作戦の発動

写真を拡大 1943年、最前線に輸送されようとしているパンターD型。パンター・シリーズで最初に量産が開始された同型を装備する部隊の出撃準備が整うのを待ったことも、ツィタデレ作戦発動の時期が後ろにずれた数ある原因のひとつとされる。

 1941年6月22日、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、「バルバロッサ(フリードリヒ1世の渾名「赤髭」の意)」作戦を発動し、そのレーベンスラウム(生存圏)を拡張すべく東方の宿敵たるボルシェビズム・ロシア(ソ連)へと侵攻した。こうして東部戦線が構築されたのである。しかし、かつてナポレオンを撃退した「ロシアの冬将軍」の到来で、ドイツ軍はモスクワを眼前にして敗退。

 そこで翌42年6月28日、捲土重来を期したドイツは「ブラウ(ドイツ語で「青」の意)」作戦を発動し、今度はコーカサスの資源地帯奪取を目指した。しかし同年末から43年初頭にかけての冬、スターリングラード攻防戦で1個軍(第6軍)を全て失い、またしても敗退してしまった。

 かような連敗を挽回すべく、1943年度に企図されたのが「ツィタデレ(「城塞」の意)」作戦である。スターリングラードでの敗北後、後退するドイツ軍を追撃したソ連軍は、ハリコフの北に、クルスクを中心とした巨大な西向きの突出部(樽の側面の張り出しに見立てて「バルジ」と称する)を形成していた。これに目を付けたドイツは、北翼(地図でいう「上」)と南翼(同「下」)から同時に攻勢を仕かけて突出部全体を上下から「食い切り」、その内側に包囲されたソ連の大軍を殲滅しようと考えた。

 当初、「ツィタデレ」作戦の発動は5月初旬に予定された。ところが作戦参加部隊の装備の充足状況や戦況の推移、新型兵器の配備状況といった問題により、実際の作戦開始は後ろにずれてしまった。「戦車ヲタク」のヒトラーは特に新型戦車の投入にこだわり、ともに新型の中戦車パンター(拙稿『陸戦の王者“アニマル・シリーズ”の雄、パンター:戦車王国ドイツが誇る第二次大戦最強の中戦車(2018年04月04日~配信)』参照)と重駆逐戦車フェルディナント(のちにエレファントと改名)(拙稿『無敵重戦車ティーガーI戦記第2回:第二次大戦期ドイツの最先端戦車ヘンシェル社とポルシェ社の競合で誕生(2018年02月14日配信)』参照)の戦力化を待った。